備忘録『個人的人生観2017年改訂版』

今日は散歩しながら随分今までを振り返ることが出来た。

これから過ごす日々の中、また感覚を忘れかけてしまったときのために、ここに書いておくことにする。

 

 今までの人生で苦しみ
 いよいよ疲れ果て
 とうとう前進する元気もなくなって
 ただその場に突っ伏していたいと思いつつも
 人間だけはやめたくないという葛藤の中
 一日1センチは前に進むことを生きる枷にして
 無味乾燥の日々を過ごしている期間

 その期間において大切なことをここに遺す

 そもそも前進する元気がないのだから
 前進する構えすらしないで
 ただ日々を過ごしていればいい
 一日1センチ前に進んで生きれば十分すぎるほど人間!

 けれど 押さえなきゃいけないこともある

 日々を漂いながらも
 視覚 聴覚 嗅覚 触覚 味覚 っていう
 五感だけは常に研ぎ澄ませて
 自分をそっと押してくれる無形の力
 そう そよ風のようなもの
 その助力だけで自分がどの方向に向かっていくかを見極める

 ひょっとしたらこれ
 仏さまの吹かせた風なんじゃないか

 今まで自分なりに苦しみ生きてきたことへのご褒美
 押さえなきゃいけないこと… 風の流れを見逃すな!

 教養を深める 趣味を作る 恋人探し 人脈形成 旅に出る
 大いにやったらいい
 その本質は五感を鍛え風を感知しやすくするということ

 全力で前進する元気がなくたって
 無形の力が助けてくれる

 向かった先で頼られて
 「あなたにいてほしい」
 そんな一言いただいちゃえば
 「自分はいない方がいい」
 心を締め付ける呪縛の観念がただちに塗り替わる
 たったそれだけのこと それだけで
 人間は一瞬のうちに元気になれて
 気が付いたら全力で前進できるようになっている

 人間の内面なんてそんなものさ

 

12月から新生活。万全で臨む!もう負けない!

じっくりした内省の終わりへ

前回から一か月以上が経過した。

退職を決意して人事部長との面談があったが、要するに価値の生み出せない人間はさっさと去れという意味合いの話を受け、11月中に職場を去ることになった。10月初頭のことである。

今は勤めを全て終え、休み期間に入ったところである。

勧告からの一ヶ月、途方もなく長く感じた。あと勤務10回・9回…と数え辛抱していく中、職務に全く興味なく過ごす自分と、周囲から軽んじられていく扱いに虚無感を覚える日々だった。これまで親しく接してくれた上司も急激に距離を置くようになり、自分からの発信を明らかに疎ましく思っているのが手に取るように分かった。「これが手のひらを返す人間ってやつだな」と理解した。

得たものもある。

実力や自信が無い人間が、意見を言えない・まくし立てられるとフリーズするという感覚。「どうせ自分のやることは間違っているんでしょ」という気持ち。分かってもらえない・受け止めてもらえない苦しみ。「この環境に自分がいない方が皆幸せになれるのではないか」という悩み。

自分が徹底して弱者になる日々を通して、弱者のことを少し実感できたと思う。少なくとも、彼らを受け止め、真剣に寄り添おうという気持ちを会得することができたのは、とてもとても大きな収穫だった。

そして、自分は万能人間でも、要領の良い人間でもないという事実。万能でない代わりに好きなことに徹底して一途であり、要領が悪い代わりに凝り性で、いくらでも時間をかけて考え、追及していくことに長けていることに気付くことができた。

また精神性からすると、人の表情や言動に対して極めて繊細、神経質を通り越して神経過敏、何かにつけ意味や意図を直感し、特にネガティブなものにはずっと神経を尖らせ消耗してしまう節があること。ゆえに一般的な仕事の環境では非常に苦労する一面があるということが分かった。

これら、3年前は見失っていたものばかりだ。

当時、忙しさや成果に追われるあまり、精神も肉体も相当に追い込まれていた。その中で、自分は万能で要領が良く、ぶれない心を持っていると思い込むことで無理やり奮い立たせ、無意識化で蓄積した疲労を弱者に強く当たることで誤魔化していたのだ。内心、真相は分からずとも「このままでは自分が滅んでしまう・自分を見つめ直さないといけない」と直感していた。それを、職を辞し、経験が全く生きない新しい職を通して自分を見つめ直すことで、一応達成することができたように思う。

じっくり時間をかけた内省が今、終わりを迎えようとしている。

自分としては満足だが、内省のために多くの人や会社に迷惑をかけまくってしまった。事前に想定できなければいけなかったが、想定できなかったから自分が生き返ったのかと思うと、複雑な心境だ。現在の職場には本当に「ごめんなさい」しかない。せめて言えることとしては、「これからはちゃんと自分の足で地面を踏みしめて生きていけるから、見ててね」というくらいだ。う~ん、書きながらつくづく痛感、「ごめんなさい」だな。

これからの人生、もう負けないぞ。絶対に。

チャップリンの言葉を忘れないで。

9月ももうあと一週間。

この一か月は、異動による新しい仕事環境で神経ばかりをすり減らされる日々であった。皆真面目でマニュアルを大事にし何に対しても正解を定めている人達ですごいと思うが、自身にも他人にも厳しい人達でもあり、ミスが多く物覚えが悪く怒られるとプライドが邪魔して態度に出してしまう自分は冷たく扱われるのが恒例となってしまった。言いたいことが言えず、自分の気持ちを誰にも共有できない抑圧的な精神状態を何かしらの行動で打開しようする防衛本能からか、暴飲暴食してしまうようになり、たった一ヶ月でかなり太ってしまった。当然出費も増え、最悪な日々が続いている。

計算上、退職までの勤務回数はあと75回くらいになる。75回を単純に過ごすだけなら良いのだが、75回の中で何かを残すのが社員としての筋というものだろう。でも…こんな自分が果たして何を残せるのだろうか。絶望的な気持ちしか湧いてこない。

冷静になれている今のうちに、数日後の自分へ。

とにかく、自分の無力に絶望し、自分を滅して人に従い続ける日々は、あと4ヶ月続く。現在進行形の立場では非常に長い苦しみに感じるけれど、人生全体のスパンで見たら、とても短く貴重な期間になるはずだ。無力により人から白い目で見られ無力により打開できない辛さに耐える中で、自分が自分を表現できるかけがえのないものを既に持っていることがその時点でいかに幸せなのかを強く感情に焼き付けること。そして、自分の土俵で縦横無尽に立ち回れることが当たり前でなくいかに素晴らしいかを理解し、来る日に向けてすべき準備を抜かりなくしておくこと。

人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇である。

そう、チャップリンの言葉が本質と信じるべきなのだ。喜劇として良い要素になるように…少なくとも漫然と過ごすことだけは避けていくと良い……のだろう…。

毎日きついけど、少しでも前進できればと思う。

数学の価値観と、竜王戦

日々のハイレベル演習(旧)の9-7、正しく動かない2台の時計に関する問題が難しい。解けそうで解けないモヤモヤの中、今日は未解決ということで終わりっ!モヤモヤをすぐに解消するのではなく、しっかり胸に秘め、あるときフッと霧が晴れたようにモヤが無くなる爽快感を味わうこと。それが数学の醍醐味の一つであります…。

人から「数学の素晴らしさは何ですか?」と聞かれたら、表現は回りくどくなるが、今ならこう答える。

あくまで数学の中で得た教訓でも、それを人生論として置き換えた場合、何ら遜色なく実感できるところ。

先述もほら。

モヤモヤをすぐに解消するのではなく、しっかり胸に秘め、あるときフッと霧が晴れたようにモヤが無くなる爽快感を味わうこと。それが人生の醍醐味の一つであります…。

っていう感じでね…。

 

ところで。将棋の話題。

竜王戦の挑戦者が羽生二冠に決まったようだ。

kifulog.shogi.or.jp

いやしかし、とんでもなくドラマチックな状況が整ったな~。だって、

・羽生二冠が今回竜王を獲得すると、同時に通算7期達成により永世竜王の資格を取得する!(これにより七大タイトル全てで永世称号を獲得したことになる!)

永世称号:引退後もその称号を名乗れる権利のこと(例→米長邦男''永世棋聖'')。各タイトルの永世称号獲得条件は通算~~期とか~~連覇とか非常にハードルが高いものなのだが、羽生二冠は既に竜王以外の六タイトルで永世称号を取得してしまっているスーパーマンなのだ。

・現在進行中の王座戦を防衛した場合、次の竜王戦竜王位を奪取すると、タイトル獲得総数がちょうど100期に至る!

※ちなみに現役でタイトル獲得数第二位は谷川九段の27期。100期て…。

・そんな大記録のかかった竜王戦、相手が好敵手・渡辺竜王!(過去68回の対局で34勝34敗とまさしく実力伯仲!)

※渡辺竜王竜王戦ですこぶる強いことで有名。過去に9連覇していて、その間二回ほど羽生二冠の竜王挑戦を退けた。現在、竜王棋王の二タイトルで永世称号を持っている。竜王戦王将戦棋王戦という冬のタイトル戦での成績が特に良いことから「冬将軍」と呼ばれていた時期もあった。

なのだから。

竜王というタイトルは、渡辺明の台頭もあり、羽生二冠にとって最も縁遠いものになってしまっているが、実は彼が生涯初めて獲得したタイトルは竜王だった。今回もしかしたら、1期目と100期目が竜王で、しかも永世称号がついてきて、これにより永世七冠になるかもしれないって、どんな巡り合わせですか。今回ばかりは純粋に羽生さんを応援するしかないでしょう!

なりたい自分になる

「なりたい自分になる」。小林麻央さんの遺した言葉だ。

俺は、なりたい自分になっていいはずがない・・・。

勝手気ままな人生を送り多くの人に迷惑をかけてきたせいか、ここ数年はそんなことばかり考えていた。自分を罰するつもりで、やりたくもない苦手に決まっている仕事を選び、転職した。このまま静かに死んでいけば良いとさえ思っていた。でもしょっちゅう辞めたいと思う。生きようとする。ああ、人という生き物は、死のうと思っていても、本能はひたすらに生きようとするんだな。転職してから一番分かったのはこれだ。

生きる渇望か、休日を使って塾の採用試験に行ってみた。過去じっくり磨いた技術はすぐには衰えない。登壇し説明する時間が楽しくて仕方ない。必要と思ってもらえる自分がうれしくて仕方ない。すぐに採用をいただいた。今は気付くと教育のことばかり考えている。いつ現職を去るべきかを考えている。体全体が、元気に生きることを欲している。

・・・急な人事異動があり、新転地での初勤務となった。

今まで一年間で無能なりに頑張って身につけてきたことが今日だけでいくつも否定され、自分の中で静かに強烈なパニックが起きて、混乱状態で自分が何をやっているのか分からなくなってミスが重なり、いつものように終盤惨めな気持ちになってしまった。自分はこの場にいない方がいいんじゃないか。またそんなことばかり考えて、「この場に」を「この世に」と、意味を広げてしまわないよう自分を落ち着けるので精いっぱいになって、仕事になんか集中できなくなって、やるせなくて泣きそうになるのを何とか堪えていたら退勤時刻になっていて、逃げるように仕事場を後にする……そんな一日が終わった。

帰りの電車の中でも苦しくて苦しくて。辞めたいが熟成されて死にたいになってはいけない。そうなる前に、この仕事を辞めなくてはと思った。(ほら、気付いたら生きようともがいている。)来月には違う職場に行ってそれからあれをやって、そうだあれも…!

・・・でもそこで「待てよ」と今日の自分はうまく冷静になれた。これから考えていることを総合し、今年いっぱいは今の仕事を続けるのが正解だと思った。そして・・・

今年いっぱい苦しみの中で生き抜いたら、今までの自分を赦そう。

自分を赦して、「なりたい自分」になろう。そう思ったのだった。

自分を唯一表現できる数学を使って、自分が唯一必要とされる教育という世界に引き返そう。「3年前の人生選択、思いっきり間違ってたみたい。恰好悪いけど戻ってきました!許して~。」って、笑って言って戻ってきたい。そして、弱さ惨めさを分かった教育者としての自分を通して、弱き者に優しく手を差し伸べられる人でありたい。

苦節30年、「なりたい自分」が、ようやく実像となりつつある。

その人生を歩めるなら、幸せの全てを欲しいとは望まない。

だから、神様ご先祖様。

どうか、力を貸してください。

あと4ヶ月、踏ん張る元気を分けてください。そして・・・

「なりたい自分」として生きさせてほしいです。

三連休

16日~18日は三連休だった。せっかくなので簡単に感想文を。

 

16日

例のごとく昼過ぎまで眠ってしまう。午後になって東京へ。実は教育業界への転職(復帰)を検討しており、面接を受けるために前乗りしたのだ。ビジネスホテルにて宿泊。いつもカプセルホテルばかりだったので、とてもリッチな気分に浸る。緊張と興奮でほとんど眠れなかったけど。

 

17日

予定通り面接を一件受けた。手応えはまずまず。自分の得意なことで勝負できたので大分気が楽だった。そして久しぶりに指導の場を経験し、自分がいかに気持ちよくいられる時間であるかを再認識できた。

終えて帰宅し荷物を置いてすぐに知人に会いに再度東京へ。この辺は段取りが悪かった。何時間電車に乗っているんだと自分が嫌になった。

落ち合った後、北千住に初上陸。大はしという有名な居酒屋に行きたかったのだが、あいにくの満席。近くの焼きとん屋にて飲む。

その後、草加に移動し、もう一人の知人と合流。銭湯にて宿泊。大移動の一日となった。

 

18日

三人で城ケ島へ大移動。目当ては釣りだ。釣り自体が数か月ぶりで竿の投げ方も忘れている状態だったが、四時間くらいやればさすがに上達した。毒のある魚ばかり三匹という絶妙な釣果となった。収穫は竿投げとイソメ付けがうまくなったことだ。

夜、せっかく三崎まで来たのだからと、三崎湾でマグロ丼を食べた。今までの人生でマグロを特に美味しいと感じた事がなかったが、今回のは絶品だった。さすがマグロの港。城ケ島はまだまだ堪能しきれていない。いつかまた行くぞ。

家まで車で送ってもらい、さあ帰宅というときに、問題発覚。鍵が無い!捜索の末、草加の銭湯に忘れてきたことが判明。取りに戻る時間的余裕もないので、仕方なしに業者に開錠依頼。開錠してもらい大変助かったが、料金がまさかの50000円!!家の防犯設備が整っていたせいで作業が高度なものになったようだが、あまりの高額設定に驚き狼狽し、帰宅し一目散に相場をチェック。同じ作業を20000円程度で行った経験談がヒットして切なくなった。鍵業者は高額設定をふっかけてくることが多いというのも載っていた。もともと自分が悪いのだし、そのときパニック状態だったので仕方なかったと思うが、事前に調べていればこんなことにはならずに済んだと思うと本当にむなしい。あ~あ、もう最悪。

 

色々あったが、総じて楽しい三日間だった。今の仕事は辛すぎるので、これからもこういう時間を大切に過ごしたいものだ。

なんで数学が好きなのか

いつの間にか、

・月刊大学への数学の日々の演習

・高校への数学の日々のハイレベル演習(旧版)

・高校への数学の日々のハイレベル演習(新版)

を日付に沿って解いていくのが日課になってしまった。

今の仕事は何もかもが波長が合わなくて、たとえ休み明けでも二日間くらいで心も体も疲れ切ってしまう情けない自分。

そんな日々を過ごしていると、数学の問題と向き合っているときが尚さら安心する。

うまく言えないが、正しいことは大らかに何でも受け入れてくれて、間違いを犯したら決して圧力をかけたりせず単にその人が前進できなくなる現実を与え静かに知らしめ、正しい方向を見つけたらやはりその大らかさによって厭らしさひとつ見せず再び前進させてくれるところ。……みたいな。

自分も人からこんな接され方をされたら嬉しいんだけれど…。

自分は人に対してこんな接し方ができるようになったらいいな、と思う。