じっくりした内省の終わりへ

前回から一か月以上が経過した。

退職を決意して人事部長との面談があったが、要するに価値の生み出せない人間はさっさと去れという意味合いの話を受け、11月中に職場を去ることになった。10月初頭のことである。

今は勤めを全て終え、休み期間に入ったところである。

勧告からの一ヶ月、途方もなく長く感じた。あと勤務10回・9回…と数え辛抱していく中、職務に全く興味なく過ごす自分と、周囲から軽んじられていく扱いに虚無感を覚える日々だった。これまで親しく接してくれた上司も急激に距離を置くようになり、自分からの発信を明らかに疎ましく思っているのが手に取るように分かった。「これが手のひらを返す人間ってやつだな」と理解した。

得たものもある。

実力や自信が無い人間が、意見を言えない・まくし立てられるとフリーズするという感覚。「どうせ自分のやることは間違っているんでしょ」という気持ち。分かってもらえない・受け止めてもらえない苦しみ。「この環境に自分がいない方が皆幸せになれるのではないか」という悩み。

自分が徹底して弱者になる日々を通して、弱者のことを少し実感できたと思う。少なくとも、彼らを受け止め、真剣に寄り添おうという気持ちを会得することができたのは、とてもとても大きな収穫だった。

そして、自分は万能人間でも、要領の良い人間でもないという事実。万能でない代わりに好きなことに徹底して一途であり、要領が悪い代わりに凝り性で、いくらでも時間をかけて考え、追及していくことに長けていることに気付くことができた。

また精神性からすると、人の表情や言動に対して極めて繊細、神経質を通り越して神経過敏、何かにつけ意味や意図を直感し、特にネガティブなものにはずっと神経を尖らせ消耗してしまう節があること。ゆえに一般的な仕事の環境では非常に苦労する一面があるということが分かった。

これら、3年前は見失っていたものばかりだ。

当時、忙しさや成果に追われるあまり、精神も肉体も相当に追い込まれていた。その中で、自分は万能で要領が良く、ぶれない心を持っていると思い込むことで無理やり奮い立たせ、無意識化で蓄積した疲労を弱者に強く当たることで誤魔化していたのだ。内心、真相は分からずとも「このままでは自分が滅んでしまう・自分を見つめ直さないといけない」と直感していた。それを、職を辞し、経験が全く生きない新しい職を通して自分を見つめ直すことで、一応達成することができたように思う。

じっくり時間をかけた内省が今、終わりを迎えようとしている。

自分としては満足だが、内省のために多くの人や会社に迷惑をかけまくってしまった。事前に想定できなければいけなかったが、想定できなかったから自分が生き返ったのかと思うと、複雑な心境だ。現在の職場には本当に「ごめんなさい」しかない。せめて言えることとしては、「これからはちゃんと自分の足で地面を踏みしめて生きていけるから、見ててね」というくらいだ。う~ん、書きながらつくづく痛感、「ごめんなさい」だな。

これからの人生、もう負けないぞ。絶対に。